アスニア通信 6月
2004.06(N0.72)
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私はフェイスマスクが出来て以来ずっと使っております。肌荒れの時、お化粧ノリが良くない時に使いますと本当に肌がツルツルになります。 |
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残飯天国を見たときは驚きました。こんなにも食べ物を粗末にしているとは思いもよりませんでした。40%を捨てている事はもう半分と同じです。 |
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最近アスニア通信に面白い話題が載り始めました。楽しく読ませて頂いています。怒ったり、笑ったり色々の人生ですが、年月は深刻な問題をも気が付けば過去へと行かせています。 |
| そろそろ梅雨入りになります。毎年ながら蒸し暑い日々が続きますが、それでも木々や草葉にとっては恵みの雨です。梅雨に雨が降らないと水不足の夏になります。 |
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知っておきたい血液のお話
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血管は何故青く見えるのでしょうか。
血液は赤いのに皮膚を通して見ると青く見えます。赤血球に含まれているヘモグロビンはもともとも赤い色で、酸素と結合すると鮮やかな赤い色になり、二酸化炭素と結合すると暗い赤色に変わります。
私達が皮膚を通して見ている血管は静脈で、二酸化炭素とすでに結合した暗い赤色が、皮膚を通し青く見えているのです。
人体に網の目のように張り巡らされた血管の全長は約10万キロメートルです。
一直線にすると地球を2周半も回る計算になります。この血管の長さをご存知でしたか。血管を結ぶパイプである血管は動脈、静脈、毛細血管に大別されます。動脈は心臓の左心室から送り出された酸素や栄養分を含む動脈血を全身に運ぶ血管です。なかでも心臓から出て弓状にまがり、腹部まで伸びている最も太い血管を大動脈と呼びます。大動脈は頭部や上半身、下半身等に向かう動脈に枝分かれして小動脈、中動脈、細動脈、毛細血管へと更に細かく分岐します。大動脈を木の枝だとしますと、細くなっていく小動脈や中動脈は身体の隅々に血液を送る小枝だといえます。
心臓から全身に送られた血液は、毛細血管で酸素や栄養分と引き換えに二酸化炭素や老廃物を受け取り、静脈を経由して心臓に戻ります。動脈のように勢いよく流れるのでなく、身体を動かした時に起こる圧力差を利用してゆったりと流れるのが静脈の特徴です。また動脈が細かく分岐しながら伸びているのに対して、静脈は小静脈から大静脈へと次第に合流し、太くなりながら心臓に近づいていきます。
心臓から押し出された血液は動脈を通して、毛細血管まで送られますが、心臓から送り出される力だけではスムーズに流れません。
動脈は静脈に比べて血管壁が厚く、伸縮性と弾力性に富んでいます。血液を受け取ると膨らんで、次には瞬間に縮んで筋肉の収縮と弛緩を繰り返すことによって血液を次から次へと進めます。
一方静脈には自らの力で血液を送り出す力はありません。静脈壁は薄く、内腔には弁があるのが特徴です。頭部や首等
心臓より上にある静脈血は引力によって自然に流下して心臓に戻り、心臓より下にある静脈血は、足のふくらはぎや腕を
動かした時の筋肉の収縮や弛緩によって、逆流を防ぐ静脈弁によって心臓の方向に押し上げられる仕組みとなっているの
です。
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| “ 木喰仏(もくじきぶつ)の子安観音 " |
兵庫県川西市より山間を30分程度車で走りますと、川辺郡猪名川町北田原にある東光寺に着きます。この東光寺のお庭に木喰仏の子安観音像があります。左手に子供を抱いた姿はとても素朴で訪れる人の心を和ませてくれます。
樫の木に彫られた仏像で200年の間に幹が盛り上がって仏像が中に包まれるまでに入り込んでいます。幹は枯れていますが、根っこだけはどうやら大地にまだ根付いているようです。
円空の一刀彫りの強さと違って、その丸みのあるおおらかな仏像に最近、光が当たり始めました。全国各地にその足跡を残しながら今まで不思議と評価がなかった木喰仏に美術評論家等の専門家は注目し始めました。この仏像が残っている事は人々が素朴にそれらを信仰対象としたためで、各地に約2,000体が確認されています。この仏像を彫った僧は木喰五行明満(もくじきごぎょうみょうまん)と言われ、日本回国の大願を遂げて生涯五千里の遍歴も終りの頃、この東光寺に滞在し3ケ月の間に14体の仏像を彫ったと言われています。
修行道にいう“六道”のひとつに餓鬼道があります。これらに陥らぬために五穀を断って食べ物は木の実か雑草のみで修行して、この戒律を守る僧達を“木喰”といいました。各地に残る円空仏と共にそのおおらかさが、それら僧の名をとって木喰仏として親しまれています。
この僧は享保3年(1718)甲斐の国で出生、22歳の時に出家、45歳で木喰戒を受けています。東光寺に滞在した時は、文化4年(1807)90歳の時との記録が残っているそうです。木喰で修行し全国各地を歩き、なお90歳でかくしゃくとしている、その姿は何を表したものでしょうか。修行僧の姿は、人が生きていく上での“清貧”の姿そのものです。バブルが崩壊して、異常な時代から人々が落ち着きを取り戻した時に、我々の物を見る目は変わっていました。今まで忘れられたり埋もれていた物に再び光が当たり始めました。
時代が変化すると良い意味でも悪い意味でも物の価値観自体が変わります。しかし物の価値がないとやはりそれは、一時的なブームで終わります。全国各地にはまだまだ“私達の知らないモノや知らされていないモノ”がたくさん埋もれています。
「東方出版」から昨年末に木喰仏の立派な写真集が出版されました。写真集の中にある仏像はとても素朴でおおらかであり、見る人の心を和ませてくれます。
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木喰僧は放浪托鉢の一生の中で、次のような辞世の句を残しました。 |